
臨床ニーズから始まるZelas™ AMP開発ストーリー#1
第1回:医療現場で見えた「素材の課題」
概要
三菱ケミカルのメンバー数名は大阪大学ジャパンバイオデザインに参加し、大阪大学医学部附属病院 心臓血管外科の現場を観察した。手術を含む診療の様子を間近で見る中で、「材料メーカーとして本来向き合うべき課題」を改めて考えるきっかけとなった。
現場を案内したのは、当時同院 心臓血管外科に所属し、バイオデザインにも関わっていた桝田医師である。医療現場の課題を企業と共有し、ともに解決策を模索するために、心臓血管外科の手術室は企業にも門戸を開いていた。
本稿では、2人の対談を通じて、心臓血管外科の現場で浮かび上がった課題と、その経験が後に抗血栓性熱可塑性エラストマー「Zelas™ AMP」の開発・事業化へどのようにつながっていったのかをたどる。
プロフィール紹介

桝田 浩禎
A-wave株式会社 代表取締役CEO / 心臓血管外科医
平成31年1月〜6月にStanford Universityへ留学し、Stanford Biodesign Global Faculty in Training Programを修了。令和2年4月より大阪大学大学院医学系研究科 慢性心不全統合治療学共同講座 特任助教。
2018年ごろは大阪大学医学部附属病院 心臓血管外科に勤務し、心臓血管外科手術や周術期診療に従事。ジャパンバイオデザイン大阪大学プログラムなどを通じて、医療機器開発におけるニーズ探索や、医療現場と企業をつなぐ産学連携にも取り組む。同プログラムを通じて、心不全患者向け在宅モニタリングシステムの開発を行うA-wave株式会社を創業

佐伯 裕美子
三菱ケミカル株式会社
パフォーマンスポリマーズ事業本部 新規マーケット開発グループ長
※2026年3月時点での所属
研究開発部門で高分子材料の開発に携わった後、2018年ごろ社内プロジェクトとして大阪大学ジャパンバイオデザインに参加し、医療現場のニーズ探索を経験
現在は、医療機器・医療包装を中心とした材料のマーケティングを担当し、抗血栓性熱可塑性エラストマー「Zelas™ AMP」の事業開発リーダーを務める
ジャパン・バイオデザイン・プログラムとは
スタンフォード大学発の「バイオデザイン」の方法論をベースに、医療現場のニーズを起点とした医療機器イノベーション人材を育成するプログラム。
医師・エンジニア・企業出身者など多様なバックグラウンドのメンバーがチームを組み、心臓血管外科などの臨床現場での観察やインタビューを通じて、「誰の・どんな課題か」を徹底的に言語化する。

そのうえで、ニーズに対するコンセプト創出からプロトタイピング、事業化の検討までを一気通貫で行う点が特徴である。技術シーズからテーマを探すのではなく、現場の未充足ニーズ(アンメットニーズ)を出発点に据えることで、現実的かつ持続可能な医療機器・ヘルスケアソリューションの創出を目指している。
日本では大阪大学・東京大学・東北大学などがフェローシップ拠点となり、各大学の附属病院・関連病院と連携しながらプログラムが運営されている。
なぜ大学病院は企業に開かれたのか?
── お二人の出会いは、大阪大学ジャパンバイオデザインのプログラムだったと伺っています。どのような形で始まったのでしょうか。
佐伯: 三菱ケミカルの社内プロジェクトとして、私を含む数名が大阪大学ジャパンバイオデザインのプログラムに参加しました。大阪大学医学部附属病院 心臓血管外科を中心に、手術を含む診療の現場を観察させていただいた際にアテンドしてくださったのが桝田先生で、それが最初の接点でした。
── 企業のメンバーが手術室まで入るのは、かなり踏み込んだ取り組みですよね。
佐伯: 正直、最初は「大学病院側にどんなメリットがあるのだろう」と思っていました。心臓血管外科のような手術現場を、医療機器メーカーでもない一般企業に開いていただけるとは想像しておらず、驚きとありがたさの両方がありました。

── 大学病院の立場からは、どのような狙いがあったのでしょうか。
桝田医師: 目的は大きく二つあったと思います。
一つは、心臓外科医局としての将来への投資です。普段どおりの診療を見てもらうだけでも、そこから将来の共同研究のタネが生まれるかもしれないという期待がありました。こちらの負担が極端に増えるわけでもないので、それなら現場を見てもらうのは十分「あり」だと考えていました。
もう一つは、ジャパンバイオデザイン大阪大学プログラムの運営上の理由です。産学連携で企業と一緒に取り組む以上、現場を見てもらうことは前提になります。僕自身が心臓外科とバイオデザインの両方に所属していたので、「医局の将来のためにもやろう」「プログラムとしてもやらないといけない」という二つの役割を同時に担っていました。
── 一般企業からすると、日常業務を外部に見せるのは相当なハードルがあります。
桝田医師: そのあたりは、医療側と企業側で感覚が違うかもしれません。企業では守秘義務や知財の問題があり、仕事の中身をそのまま見せるのは簡単ではない。一方、医療現場では患者さんのプライバシーと安全が大前提ですが、診療内容自体は学生にも日常的に公開しています。手術見学も昔から行われており、その延長線上に企業の見学がある、という感覚に近いですね。
佐伯: 実際、手術室には医師・患者さん・スタッフ以外にも、多くの学生さんや医療機器メーカーの営業の方がいて、大学病院が教育の現場でもあることを実感しました。
桝田医師: もちろん企業の方が入る際には、気をつけないといけない点はいくつもあります。ただ、「現場で何が起きているか」を見てもらわない限り、本当のニーズは伝わりません。そこを一緒に見てもらうことに、バイオデザインとして大きな意味があると考えていました。
素材メーカー研究者に突きつけられた一言
── 現場観察の中でも、とくに印象に残っているのが冠動脈バイパス手術(CABG)だと伺いました。そのときのことを教えてください。
佐伯: 最初に見学させていただいたのが、内胸動脈をグラフト血管として用いる冠動脈バイパス手術でした。患者さん自身の血管を丁寧に露出し、長い時間をかけて冠動脈にバイパスできるよう処置が進んでいく様子を、食い入るように見ていました。
その後、心臓の冠動脈に縫い付けていく場面を目の当たりにしながら、「人工血管という選択肢があるはずなのに、なぜ使われていないのだろう」と強い違和感を覚えました。
── 確かに、「人工血管で代替できないのか」と考えてしまいそうです。
佐伯: そうなんです。患者さんにとって大切に思える血管を別の場所から取ってきて、そこに使っている。「本当に取ってしまって大丈夫なのか」「人工血管で置き換えられないのか」と、素人目にも疑問が湧きました。
桝田医師: そのとき、「6mm以下の人工血管は血栓で詰まりやすく、現状では使えない」という、医療現場では当たり前の前提をお伝えしました。小口径人工血管は、今の技術では血栓が非常にできやすく、長期的に安定して使えるとは言い難い。そのため冠動脈バイパスのような細い血管では、今も患者さん自身の血管を使うのが標準になっています。

佐伯: そこで先生から、「これは材料メーカーであるあなた方の責任でもあるんですよ」と言われた言葉が、とても刺さりました。
自動車や電子デバイスのような大きな市場には、最新のポリマー技術を積極的に投入している一方で、心臓血管外科のようにリスクが高く市場規模が小さい領域には、本気で踏み込めていなかった。そのギャップを真正面から突きつけられたと感じました。
── 「市場原理」と「命を預かる医療」の間にあるギャップですね。
佐伯: 企業としては当たり前の選択だと思います。大きな市場には、素材ビジネスとして当然のように開発リソースを優先的に配分してきました。一方で、心血管分野のように市場規模が限られ、規制や責任も含めてリスクが高い領域は、素材メーカーとして正直「入りにくい」とされてきた部分があります。
そもそも手術現場に立つまでは、そこでどんな課題が起きているのかを十分に理解できていませんでした。その複数の要因が重なり、結果としてほとんど踏み込めていなかったのだと、先生の一言で自覚させられました。
放置されてきた課題
── 小口径人工血管については、心臓外科の世界では「詰まりやすい」という前提があると伺いました。
桝田医師: そうですね。大動脈のような太い血管では、人工血管はすでに標準的に用いられています。一方で、冠動脈のような細い血管では、「人工血管だと詰まるので、患者自身の血管を持ってくるしかない」という前提で、長年治療が行われてきました。
かつては、患者さん自身の血管をどうにか再利用できないか模索した時代もあったはずですが、「小口径人工血管は詰まりやすい」という当時の技術水準での結論が、そのまま半世紀ほど変わっていない感覚があります。技術自体はこの間に大きく進歩しているのに、この領域だけ時間が止まっているように見えるのです。
── いわば、「挑戦が止まってしまった領域」というイメージでしょうか。
桝田医師: その通りです。心血管分野の中には「忘れられたテーマ」のようなものがいくつかあり、小口径血管と人工心臓弁はその代表格だと思っています。
本来であれば、材料の進歩や表面処理の工夫を生かして、もう一度チャレンジしても良い領域です。しかし、外科医も企業も、いつの間にか強い興味を失ってしまった。そういう意味で、「放置されてきた課題の一つ」だと感じています。
佐伯: この話を伺ったときは、かなりショックでした。企業はリスクや採算性の面から手を出しづらく、医療現場も「そういうものだ」と受け入れてしまっている。
「この血管は、将来透析になったときのために残しておきたいから、ここからは取れない」といった会話を手術中に聞きながら、患者さんの血管が"取り合い"になっているのに、それに応えるソリューションがない状況は、やはりおかしいのではないかと強く感じました。
桝田医師: もし「詰まりにくい小口径人工血管」が現実的な選択肢として使えるようになれば、患者さんにとっても外科医にとってもインパクトは大きいはずです。
手術時間は短縮できますし、患者自身のどの血管をどれだけ使うかという悩みも減る。将来の治療オプションの幅も広がります。だからこそ、本来は材料の力で一歩踏み出す価値がある領域だと考えています。
人工血管:ポリエステルやフッ素樹脂などから作られた合成の血管で、大動脈瘤の手術など太い血管の治療ではすでに広く用いられています。しかし直径6mm未満の小口径人工血管では血栓が詰まりやすく、冠動脈のような細い血管ではいまだ実用化が難しいという課題が残っています。
──次回は、感染・バイオフィルム・抗凝固療法といった「血栓以外の現場のリアリティ」と、それを見た素材メーカー側の問題意識について、さらに掘り下げていきます。
References
[1] 日本バイオデザイン学会. プログラム概要. https://www.jamti.or.jp/biodesign/program/
[2] A-wave株式会社 https://awave.co.jp/
[3] 大阪大学大学院医学系研究科 医学教育情報センター「MDD2018卒業生 佐伯 由美子 さん(三菱ケミカル株式会社)」https://mei.osaka-u.ac.jp/article/list/mdd2018_alumni_saeki/
[4] 抗血栓性熱可塑性エラストマー「Zelas™ AMP」の医療機器への適応に関する共同研究について | 2025年 | ニュースリリース | 三菱ケミカルグループ https://www.mcgc.com/news_release/02443.html
[5] 九州大学 田中賢研究室「当研究室の産学医工連携による取り組みが、複数メディアに掲載されました。」 https://www.soft-material.jp/information/news/article-9140


